ご由緒

御祭神

素盞嗚大神(すさのをのおおかみ)

氣比大神 (けひのおおかみ)

忍熊王    (おしくまのみこ)

ご由緒

 

劔神社の創祀は悠久の昔、遥か北に仰ぐ座ヶ岳の峰に素盞嗚大神を祀り、〝劔大神〟と称えたことに始まります。
神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王は、劔大神の御神威を頂き当地方を治めることができたことを感謝し、現在の地に社を建て〝劔大明神〟と仰いだことを社記は伝えています。
奈良時代より祈願の霊場と尊ばれ、朝廷をはじめ多くの人々から厚い信仰を受けてきました。現在所蔵する国宝の梵鐘は、第四十九代光仁天皇の御奉納といわれています。
中世以降は、朝倉氏を始め武将の崇敬も厚く、特に織田信長公は氏神と崇めて、格別の信仰をもって神領を寄進するなど、神社を保護しました。
江戸時代の末には、伏見宮家の御祈願所と定められ、拝殿の御寄進をいただき厚い尊崇をうけて今日に至っています。越前国二の宮として一の宮の氣比神宮と共に、福井県民はもとより県外の方々からも篤い信仰を受けている神社です。

 

劔大明神略縁起(鎌倉時代後期)  

神社の由緒が記されているもので、古くから宝物として保存されてきた。神社のさまざま神話や伝説が述べられている。

忍熊王の夢枕に立たれる素盞嗚大神

これは略縁起内にみえる、神劔奉授の一場面が描かれてた絵画である。

この時素盞嗚大神様は忍熊王の夢枕に立ち『皇子努力せよ われ今汝に霊劔を授くべし、之を斎き奉らば賊徒は直に平定すべし。

我は素盞嗚尊なり』と告げ劔を授けたと伝わる。

劔神社と織田信長公

当社の鎮座地である越前町織田は、織田信長公の祖先の故郷です。越前織田荘の荘官として、また越前国二の宮劔神社の神官として大神に仕えてきた由緒ある家柄でした。
応永年間(1394〜1427)、神官の子に常昌という立派な人物がいましたが、時の越前の守護斯波氏にその才能を見出され、家臣として取り立てられて、尾張の国に派遣されました。苗字は故郷の地名をとって織田を名乗るようになりました。
織田氏は尾張で次第に勢力を伸ばし、守護代を勤めるまでになりました。信長公の時には尾張一円を掌握し、更に日本全国に雄飛するまでになりました。
信長公は戦国の乱世にあっても、劔神社を氏神として深く尊崇し、武運を祈ると共に、多くの神領を寄進し社殿を造立するなど、劔神社の保護と治安に尽くしています。
天正十年(1582)、信長公は本能寺の変で壮絶な最期を遂げ、天下統一の夢は消えましたが、織田の人々は信長公の功績と威徳を偲び、御霊を境内の小松建勲神社に合祀しました。
ちなみに織田氏の家紋は「織田木瓜紋(五つ木瓜紋)」ですが、当社の神紋も同じ紋章であり、織田家との深いつながりを示しています。

柴田勝家諸役免許状(天正三年 1575)

※柴田勝家が、劔神社・織田寺の門前に対し、様々な税の負担を免除したもので、「当社の儀は殿様御氏神」と書かれており、信長公が劔大明神を氏神として崇敬したことを示している。

織田信長公銅像

旧織田駅の一角に聳え立つ織田信長公の銅像は、訪れる人々を温かく見守る。

劔神社古絵図及び復元模型

 劔神社古絵図(室町時代)

※この古絵図は、室町時代後期の劔神社の様子を示すものと考えられている。境内の北には本殿を始め末社や神楽堂など神社関係の建物が配置され、南には神宮寺である織田寺関係の建物が多数あり、神仏習合の様子を知ることができる。

 

※越前町織田蔵文化歴史館蔵